旧常滑自動車の発着所(市場)

太田鉄工所の東側は昭和初期から同18年頃まで知多バスの前身の常滑自動車の発着所であった。20人乗り位のバス3台と3人の運転手が、常滑と国鉄の半田駅を往復していた。昭和15年位からは、燃料が、戦争の影響で、それまでのガソリンから木炭に変わり、運行に苦労した。


肥田孝平氏邸(市場)

約300年前に建てられたと言われている。江戸後期、常滑の庄屋の役宅と住居に使われ、現在も住居として使われている。西側の建物は、常滑の豪商、松本久右ヱ門宅を、移築したものである。


旧橘湯(市場)

昭和7年に建てられ、銭湯として使われてきたが現在は、使用されていない。
常滑市で、初めての鉄筋3階建てであった。正面にしゃれたステンドグラスがはめてある。