旧古川医院の門(樽水町塩田)

明治の中以前に建てられて、元は古川医院の門であったが、現在は山田勝治氏の所有である。
古川医院の隣で生まれた89才のお婆さんの話によれぱ、古川家は代々、医療を家業としてきたが、医院を継ぐ者が無く、未亡人となった奥さんの父上が、名古屋から90才の老躯をおして、時折診療に来られたが、この老医師が亡くなられた後、医院は閉められた。


澤田酒造の蔵(古場)

嘉永の頃(140年程前)に建てられた酒造りのための蔵。今でも伝統的な酒造りが行われている。
江戸時代末期は、黒船の襲来で、世情が騒然となり武士階級が、困窮し始めていた。各国は特産品の開発育成に力をいれて、少しでも藩財政を、立て直そうとしていたが、尾張落も財政的には例外ではなく、そのために、米を金にかえる酒造業が奨励された。嘉永の頃は、雨後の筍のように、知多地方には、酒屋ができはじめ、全国第二位の、大酒造産地にまで発展した。
これは、知多が海運に恵まれ、江戸に酒を送る"流通手段"が整備されていたことも大きい。当時、知多郡内で220余の酒蔵があり、常滑にも29の酒蔵があった。


小鈴谷郵便局(小鈴谷)

明治34年に建てられた木造2階建ての建物。入口には「POST OFFICE」と英字で書かれた看板があり、明治の洋風建築にマッチしている。
昭和45年まで、電話の交換台も置かれ、電話局も兼ねていた。また、昭和60年まで、大谷から坂井地区までの郵便配達も受け持っていたが、現在は、窓口業務のみで、配達は常滑郵便局が行っている。
今は使われなくなった大金庫のダイヤルは数字ではなく、「イロハ」の文字が刻まれている。