常滑のレンガ煙突

常滑の街中には、四角の赤いレンガ煙突が、大小取り混ぜあちらこちらに沢山目に付きます。しかし一方では、煙突が取り壊されていく現場を時々見かけることもあります。『常滑の風情と言えば、何たって煙突のある景観です』『常滑から煙突が消えたら、常滑ではありません』と消えていく煙突を嘆き悲しむ有識者は、ふる里が遠く離れて行ってしまいそうな危機感すら抱いているのです。最近その煙突の数を調べてみましたら、旧常滑町を中心にして、北は多屋から南は樽水に至る約4qの範囲内に、9〜21m(30〜70尺)のレンガ煙突が55基ばかり点在していました。
その中には、昭和初期と思われる、煙突の下部が立派な台座になっている煙突も4基ほど確認されています。それに土管を積み上げてアングルで補強した土管煙突が13基と、別に半壊煙突も38基ほどありました。半壊煙突とは、煙突を地面まで完全に撤去せずに、上部のみ壊して下部を残したままの煙突のことです。
更にこの度、全国に現存するレンガ煙突も調査しましたが、常滑ほど高いレンガ煙突が沢山立っている所は、今の処、他所では見当たりませんでした。そうしてみると、常滑のレンガ煙突の景観は実に貴重だと思います。
常滑で煙突が最も沢山密集していますのは、北条の丘陵地南部から東にかけた一帯でして、今も、常滑独特の景観を見ることができます。
しかし、その煙突も大部分は使われていない、煙を忘れた遊休煙突になってしまいました。『常滑のすずめは黒い』と言われた昔の話ですが、その頃は陶管を焼く窯の煙突からは、いつも黒い煙が大空一面に立ちこめていました。そして『白足袋が半日で真っ黒になる!』と他村から嫁いで来たお嫁さんは、あきれ返って悲鳴をあげたものです。
その常滑は、明治・大正・昭和戦前を通じまして、わが国最大の陶管生産地として発展し、最盛期には煙突が300〜400基もあったと言われています。しかし、昭和30年代より、塩化ビニール管などに押されて、段々そのシェアを失っていき、次第に生産が中止されて、窯や煙突も取り壊されて行きました。
一方、戦後の常滑は、タイルや衛生陶器などの建築陶器の生産が飛躍的に伸びて活気を帯び、今では建築陶器の街として、全国でも主要な生産地になっています。そして焼成には戦前のような石炭を使わずに、重油・灯油・LPG・都市ガス・電力に変って、黒煙が全く見られない青空のきれいな街になりました。
そして、取り残された煙突は、かつての陶管産業時代の栄光のモニュメントとして、見上げる人に今もなお、常滑らしい風情をただよわせています。常滑のシンポルとして、煙突はいつまでも、遺してもらいたいですネ。
柿田富造