富田うしほの句碑

◆所在地 常滑市神護山相持院境内
◆大きさ 高さ195p 幅61p
◆建立年月日 昭和三十七年三月

●文字
港もつ陶の都や春の雲

●由来
相持院境内の木陰に立つこの句碑は、常滑若竹句会の建立されたもの。句碑除幕式の当日は来賓をまじえて百五十名を越す盛大さであったという。
 富田うしほは名古屋出身で、明治二十二年一月十九日指物師の家に生まれた。五才の頃から漢学塾に学び漢文に親しんだ。俳句を嗜む母の影響を受け、十二才の頃には句作をするようになり、近所の老人連の句会に出るようになった。大正二年敬慕していた村上鬼城師に強引に懇願して門人になった。うしほが俳人として名を成すようになって二人の息子、潮児、たけをは俳句、文筆の父の仕事を手伝い良き協力者であった。
 氏は恩師鬼城師を崇拝すること唯一筋だった。戦中の一時期若竹会は休刊したが、昭和二十二年復刊した。昭和五十一年米寿を祝される。長い年月の功労が実を結び、翌年勲五等瑞宝章を受ける。同年七月、中畑若竹会支社合同句碑建立。(広前に馬場もつ神や楠若葉 うしほ)
 その他にも群馬県赤城山頂、三河の三ケ根山頂などに句碑が建立されている。