松井総兵衛半径土管の碑

◆所在地 常滑市天神山(常滑西小学校東の小高い丘の上)
◆大きさ 高さ136p 幅164p

●文字
(表)
明治十五年十月御指令土焼各下水樋創業の記
半月形 角形 石形 三角形
発明者東京日本橋松井総兵衛
創製者鯉江佐平治男常之助
(裏)五首の歌が彫られている。
かれせじなちまたにかくる下樋の水とその名は萬代までも
正三位白河資訓
いかぱかりおもひたかめて引水のながれてたえぬ功たてけむ
従三位千家尊福
あらがねのみちをくぐりてゆく水も深きこころやしるべなるらむ
正六位税所敦子
國の為こころかけひもうづめ樋も世にあらはれて人はめずなる
従五位鈴木重嶺
おろかなるおもひかけ樋も開けつつ世にすすみ行く水のかよひか
発明人 松井総兵衛


陶祖の碑 白鴎の碑 鯉江方寿の碑

◆所在地 常滑市天神山鯉江方寿陶像の北側
◆大きさ
上村白鴎碑 高さ210p 横囲り31p×31p
陶祖之碑 高さ180p 幅80p
鯉江方寿碑 高さ210p 横囲り32p×32p

●文字
上村白鴎碑
陶祖之碑
鯉江方寿碑

●由来
天神山に登ると鯉江方寿の陶像のすぐ北隣に三基の碑が建っている。右側が上村白鴎の碑、中央が陶祖之碑、左側が鯉江方寿の碑とある。大正四年即位記念と書かれているが、これは方寿の碑についてか他の碑も同時に建立されたのかよく分からない。鯉江方寿については説明を省略するが、上村白鴎は江戸時代後期の人、通称八兵衛という。名工の名の高い人で立派な作品が今でも残されている。人徳があり尾張の殿様に愛せられ交流の幅も広く各界の名士にも愛せられていた。宴会の席で興が乗ると裸で踊り出すので、八兵衛の裸踊りとはやされ今でもその名が残っている。夏に子供が裸でいると母親が「裸のはちべーだと風邪を引く」などと叱ったものである。