カメイカケの碑

◆所在地 常滑市天神山北西のはずれ
◆大きさ 高さ180p 幅74p

●文字
かめいかけ 元祖
明治三年より
片岡ヤキトラ

●由来
「かめいかけ」は、北條の駅近くに住む片岡寅治郎というお方が、窯を焼いてから焼け傷の有るのを硫黄を鉄鍋で煮溶して、焼物の色に似せた薬品(マンガン)とか(べニガラ)とか(油煙)とかを混ぜて、傷のある部分の内側に布を濡らして手で支えて煮溶した色付きの硫黄を匙で掬って流し込んだものだ。これが常滑で始まったカメイカケである。最初は下ガメだったろうか。


おねまの碑

◆所在地 常滑市常滑西小学校校庭南樹木林の中
◆大きさ 高さ138p 幅20p

●文字
竹腰三信公遺跡おねま

●由来
竹腰正好(三信公)慶長十九年(一六一四)生 幼名源太郎
 これは七夜の日徳川家康公に名付けられたもの。父山城守正信は、尾張徳川初代藩主義直公の異父兄。長じて父の知行地である常滑村に住む。武芸を良くして硬骨の人であったという。ひと頃、心に馴染まぬものがあり病と称して、庄屋衣川八兵衛宅に寓居。知行並に屋敷を返上した正保三年(一六四六)藩主より合力米二千石と屋敷を賜う。翌年瀬木村に新築落成。三徳備われるとして藩主より三信の名を賜う。内室於寅のた め榎戸に居宅を普請。その後藩主に願い出て龍雲寺を建立、菩提寺とする。若い中から弟虎之助に跡目を譲り隠居したが、七十五才の長寿を保ち元禄元年(一六八八)卒した。藩主のおねまを記念して碑を建てられた。今の場所は校庭の中程にあったのを移したもの。
 現在の常滑西小学校にお屋敷が有ったので、南は前田北は屋敷田と廻りに当時を偲ぶ地名がついた、といい伝えられている。