お砂ふみの碑

◆所在地 常滑市奥条五丁目二〇 大善院境内
◆大きさ 高さ76p 幅91.5p 台座 高さ90p 幅140p
◆建立年月日 明治二十八年 昭和五十三年十二月修復

●文字
 記
明治二十八年水野平左ヱ門四国八十
八ヶ所を巡り各霊場の「お砂」を持
ち帰り大善院裏山に札所本尊並に大
師御影を石仏とし「お砂」と共に寄
進入魂してより星霜此処に八十四年
を経ぬセイ惰の変転と風水害による山
相の荒廃石佛の損傷甚しきを奥条地
区有志一同之を憂え相寄り浄財を集
め修復補填山腹の危険を慮り本堂周
辺を平坦にし其処に佛身を遷座安置
す佛恩弥あらたかならん事を希ふ
合掌

●由来
 子供のころ、大善院の裏山を少し登った処に湧き清水で出来た水たまりがあり、小亀が遊んでいたことを思い出す。そこから昼なお暗い雑木林の細い路伝いに四国八十八ヶ所の本尊と弘法大師の二体並んで一躯の石仏が点々と安置されており、それをお詣りすれば、本四国へお遍路したのと同じであると聞いた。
 明治二十七年頃のある新聞に「水野平左ヱ門氏は大善院に八十八ヶ所の弘法堂を建て石像八十八躯を配置せり」と記載されているように、弘法堂及び石仏を寄附すると共に、交通不便な時代、苦労して四国から八十八ヶ所のお砂を持ち帰った。
 戴いて来たお砂は、朱泥の器に入れ一ヶ所毎石仏の台座の下に奉納したのが始まりである。それから幾星霜裏山は崩れ、石仏は離散したり埋没したので、碑文にあるように失われた石仏と同じものを新造又は修復して、昭和五十三年十二月現在のように大善院本堂裏の平地に整然と遷座、安置された。そしてそこへお詣りすれば八十八ヶ所のお砂が自ずと踏めるように大善院を守る人々の手で奉安された。
 因みにお砂の入っていた器は朱泥の蓋付で「四国八十八ヶ所御砂 水野」の刻があり、初代山田常山の作と思われる。大きさ胴径五・三p高さ四・五pの容器で修復の際掘り出されその内の一ヶは大善院に大切に保存されている。