●文字
@大乘妙典一*石字塔 A奉書寫法華経塔
●由来
村民の苦労に成った新田も度々の地震や津波に流されて、その都度村民達によって補修工事がなされて来た。何としてでも拓いた新田を守りたい住民の願いも空しく、その後も被害が絶たぬ為、安政六年(一八五九)龍雲寺住職の悦心和尚に請い法華経等大乗妙典を一字ずつ墨書した平たい小石を、特に決壊しやすい場所に埋めて、安永五年(一七七六)建立の「奉書写法華経塔」に並べて「大乘妙典一*石字塔」の経石塔を建て、堤防の鎮護を祈った。二基の経石塔に村の安全を願う人々が、毎年四月三日にお馬頭の祭礼を行い、祈りを捧げるようになった。
現在地は、護岸工事の為、元来の位置よりかなり移動しているとの事であるが、これらの経石塔は、市の文化財に指定されている。
(昭和四十六年九月二十一日市指定)
●文字
建碑之詞
●由来
岐阜産の石。寄附者、井上栄太郎
*細石(さざれ石)
日本最古の鑑賞石。
清和天皇の八六三年(貞観五)の春、紀伊の国(和歌山県)の千里の浜で浦人が海から拾い貴人に献じたという伝えがあり、もっと古い文献としては伊勢物語があげられる。