帆を干す打瀬舟 [保示正住院西海岸 昭和11年頃]

潮干狩も出来たこの辺りは、間もなく埋立工事が着工され徐々に埋められて保示樽水の工事完了までに二十数年の歳月がかかりました。
現在では正住院の石垣とその周辺の石垣がわずかに当時の俤を残すのみとなりました。


ダンペの荷積みもちょっと一服 [北条港 大正10年2月3日]

これは、多屋の杉江半三郎家の持船のようです。かぶっている手拭いに、半の字の印があります。


清水庄蔵工場 [干石船より北条風景を撮る 明治の終り頃]

清水家は尾張藩御用商人であったと聞いております。
昔、北山御殿といわれましたが後に火事になり北条の語り草になっております。
(現在、北条3丁目ヤマキ猪飼商店の裏辺りか。)