潮干狩も出来たこの辺りは、間もなく埋立工事が着工され徐々に埋められて保示樽水の工事完了までに二十数年の歳月がかかりました。 現在では正住院の石垣とその周辺の石垣がわずかに当時の俤を残すのみとなりました。
これは、多屋の杉江半三郎家の持船のようです。かぶっている手拭いに、半の字の印があります。
清水家は尾張藩御用商人であったと聞いております。 昔、北山御殿といわれましたが後に火事になり北条の語り草になっております。 (現在、北条3丁目ヤマキ猪飼商店の裏辺りか。)