綿布工場内部 家族、従業員 [大正9年頃]

阿野は綿布工場が多い地区ですが、工場の屋根の造り方が独特で鋸屋根と言いました。
幾棟かを並べたような形だが、棟の北側を明り採りにして、南側は大屋根?まるで鋸を上向きにしたようでした。
今でも幾棟かを見ることが出来ます。ベルトが見えるので動力が入った頃か、帽子の人は織機の手直しさんです。


三和村矢田女子青年団[昭和14年]

三和村矢田女子青年団は男子に代わって食料増産のため、古老より牛耕を教わり、競技会までやって技術を得て、食料増産に協力しました。縞のもんぺに手拭い姿の農村の娘たちです。指導者は村川儀三氏です。