竹腰三信公の菩提寺 祥光山龍雲禅寺 (黄檗宗) [榎戸]

寺伝によれば、このお寺は今から320余年ほど前、江戸時代延宝4年尾張家御附家老の一人「竹腰家」嫡男成方三信公の菩提寺として奥方於寅の方が創建された「知多半島唯一の「黄檗宗」寺院」といいます。 本堂内陣は能舞台様式の造りで、床下には「常滑焼大甕三個」が埋められている、珍しい構造になっています。
これは音響を良くするためのものと思われます。
この寺のこ本尊は釈迦牟尼佛であり、観音堂に三信公持仏、達磨大師、三信公木像が祭られており、三信公木像は12cmほどの座像です。
右回廊には緊那羅王(きんならおう)、弘法大師、徳川家三代(家康、秀忠、家光)各尊牌、竹腰正信(三信公の父)、相應院(祖母家康側室)等、親族の位牌が祭られてあり、正面回廊の上には古びた御籠が吊られ昔を物語るかのようです。
外に出ると境内中央の松やさつきに囲まれて、大きな常滑焼の手洗鉢がありました。直径1mもあろうかと思われる立派な鉢です。
寄附者 伊藤松次郎
片岡長太郎
製作者 片岡長太郎
昭和六年八月とありました。


祥光山龍雲寺 [榎戸]

寺傅によれば龍雲寺は、320余年ほど前の延宝4年、江戸時代に尾張家付家老の一人、竹腰家の嫡男「成方三信公」の菩提寺として奥方於寅の方が創建された。
しかし三信公は風流を好む文化人だったらしく、龍雲寺の床下に入れば、古材が便われており、もとの建築は能舞台として建てられていたと聞きました。
本堂の床下には「常滑焼」の大がめ3個が3方から中央に向って埋められており、和尚のおつとめが始まると西方の丘にひびき、遠くのトーモにいても聞こえたので、西の丘をジャンジャン山と呼んだと言います。