苅屋漁港 [苅屋]

半農・半漁の村でした。イサバ船を持ち、廻運業を営む者もいました。
昭和の初期では打瀬船が中心であり、木造船で帆と焼玉エンジンを併用した2・3人の家族による沿岸漁業でした。


高砂山(高坂山) [大谷]

高坂山は昔、日照りが続いた時に翁の面をかぶって雨乞いの神事をしたところだそうで、その面はもとは伊勢の海の龍神様のものでした。よく晴れた春の日に龍神様は高坂山まで散歩に来て頂上に生えている大きな松の枝に翁の面を掛けて美しい景色を楽しむうちについ、居眠りをしてしまいました。
そこへ村の子どもたちが来てお面を持ち帰り、熊野神杜の神主さんに見せたところ、伊勢の海の龍神様のものだということが分かり、神社に奉納することにしました。龍神様はほうぼうを探し回りすっかり疲れてしまい、田植えの時期になっても雨を降らすことを忘れてしまいました。人々は困り、雨乞いをすることにしました。お面のことを思い出しさっそく高坂山の頂上で火を燃やし、太鼓をたたき、お面をかぶって踊りました。太鼓の音が聞こえてくるので龍神様は海から顔を出すと、無くした面を人間どもが持ってはやしたてているので、怒った龍神様は面を取り戻そうと嵐を巻き起こして大雨を降らせました。今でもこの翁の面は熊野神杜の宝物として伝えられています。