鈴渓資料館 [小鈴谷]

盛田家は江戸時代を通じて尾張国知多郡小鈴谷村の庄屋を務め、早くから醸造業など多様な事業を営みました。明治の第11代久左衛門命祺がさらに新しい分野を開拓し、学校を設立し窮民の救恤にも力を尽しました。
この資料館には盛田家に伝来した、江戸初期から明治末年に至る数万点の古文書が保存されています。近世の古文書がかくも多量に保存されてきたのは極めて稀で、それらは郷土の、ひいてはわが国の400年間に渡る歴史の歩みを明らかにする貴重な資料です。


盛田株式会社 葡萄蔵 [小鈴谷]

盛田家は酒、味噌、醤油の醸造を江戸時代半ばより営み、繁栄の一途を辿って来ました。
第11代命祺は明治13年に葡萄酒醸造の新事業に取り組みました。明治14年から現在の武豊町の六貫山の荒地を開墾し、葡萄の苗を植え始めました。明治17年になりますと、数十町歩になり、その当時日本一の葡萄園に発展しました。当時は外国製のガラス瓶が使われるのが普通でしたが、命祺は国産の陶製瓶を常滑村の鯉江方寿の後継者、高司に依頼しました。その瓶は現在、鈴渓資料館に保存されています。
ところが害虫のフィロキセラが、葡萄の樹に寄生しており、葡萄畑は全減してしまいました。
その後、桑畑などに変わって命祺の開墾精神は生き続けました。
命祺は9年後の明治27年79才で他界しました。命祺こそは、至誠奉公をもって一生を捧げた一大人格者だったと言えましょう。
この蔵はその当時の葡萄蔵です。